反国王派貴族に
イングランドの宮廷ではエドワード2世の寵臣のギャヴィストン、ギャヴィストン殺害後はヒュー・ル・ディスペンサー父子が専横を振るい、宮廷と貴族が対立を深めた。モーティマーはこの争いに当初中立的だったが、次第にディスペンサー父子と確執を深め、反国王派の第4代ヘレフォード伯ハンフリー・ド・ブーンの支持者となり、1321年に国王の召還に応じることを拒否し、貴族たちの反乱に参加した。しかし1322年1月にシュルーズベリーで国王に降伏し、ロンドン塔に投獄された。1324年8月に脱走してフランスへ亡命した。
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