四国攻め
1585年の四国攻めに加わり、6月27日小早川隆景とともに伊予へ出陣。7月14日から7月17日にかけて、長曾我部元親麾下の金子元宅が守る高尾城を攻撃し陥落させる。高尾城陥落の功により、8月6日に輝元から太刀と馬を贈られた。また、閏8月中旬までに宇摩郡と新居郡を平定。更に曽祢城と大津城を攻略して、喜多郡と宇和郡を平定した。同年11月下旬、隆景と共に大坂に赴く途上で堺の玉蓮寺に滞在し、12月5日には隆景と共に大坂城で秀吉に拝謁して太刀、馬、大鷹、猩々皮、銀などを献上し、饗応を受けた。また、秀吉は12月24日に元長と隆景を豊臣秀次の第に招いて饗応し、翌年に九州攻めを行う事を告げると共に元春の出陣を要請した。翌12月25日には大坂を発ち、陸路で安芸に帰国する。なお、備中国の河辺川までは黒田孝高と蜂須賀秀政が見送りのために同行した。
1585年の四国攻めに加わり、6月27日小早川隆景とともに伊予へ出陣。7月14日から7月17日にかけて、長曾我部元親麾下の金子元宅が守る高尾城を攻撃し陥落させる。高尾城陥落の功により、8月6日に輝元から太刀と馬を贈られた。また、閏8月中旬までに宇摩郡と新居郡を平定。更に曽祢城と大津城を攻略して、喜多郡と宇和郡を平定した。同年11月下旬、隆景と共に大坂に赴く途上で堺の玉蓮寺に滞在し、12月5日には隆景と共に大坂城で秀吉に拝謁して太刀、馬、大鷹、猩々皮、銀などを献上し、饗応を受けた。また、秀吉は12月24日に元長と隆景を豊臣秀次の第に招いて饗応し、翌年に九州攻めを行う事を告げると共に元春の出陣を要請した。翌12月25日には大坂を発ち、陸路で安芸に帰国する。なお、備中国の河辺川までは黒田孝高と蜂須賀秀政が見送りのために同行した。
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