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成瀬仁蔵(1858~1919)

日本女子大学校設立へ
第5代梅花女学校校長を務め、女子高等教育機関の設立に着手。成瀬はこの梅花女学校校長時代に日本初となる「球籠遊戯」をカリキュラムに採用、後に自らが創立した日本女子大学校でも「球籠遊戯」をカリキュラムに採用していることから、成瀬はバスケットボール紹介者のひとりと言われている。大阪市東区清水谷東之町で建設を進めたが、その後、広岡浅子の働きかけで三井財閥から東京・目白の地を寄贈され、1901年、日本女子大学校を創設した。

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