耿精忠の概要
耿精忠は粛親王豪格の娘と結婚し、和碩額駙に封じられた。王位継承後、耿精忠の側近は「天下分身火耳」の謡という讖緯があるとしたので、耿精忠は部下の将兵に変事が起きるのを待たせるようにした。1673年、尚可喜が平南王の継承を許されず藩が廃止され、遼東に帰還することになったので、耿精忠と呉三桂とともに清朝朝廷の態度を探るべく、藩の撤廃を具申したところ、康熙帝はそれを許可した。そのため、呉三桂と耿精忠はともに挙兵し、耿精忠は総統兵馬代将軍と自称し、辮髪をやめ、衣冠を変更した。福州において、閩折総督の范承謨をとその幕僚50余人を殺害、呉三桂とともに江西に進出し、鄭氏台湾の鄭経も沿岸部を攻撃したことから、一時的ではあるが反乱の勢いは盛んだった。
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