将軍地蔵山の戦い
和泉守護代の松浦氏が幼少であった為、後見として岸和田城に入っていた「鬼十河」と恐れられていた十河一存が1561年3月18日に死去した。これに乗じて畠山高政軍は岸和田城を取り囲み、またこれに呼応して、六角義賢も家臣永原重澄に命じ同年7月28日に将軍山城に立て篭もり、義賢自身は神楽岡付近に陣をはり上洛を伺った。この時六角軍は総軍で2万兵であった。これに対して三好長慶軍は、息子の芥川山城主三好義興ら7千兵で梅津城・郡城へ、信貴山城主松永久秀7千兵を京西院小泉城へ入城させ、勝軍山城と対陣した。
コメント
コメントを投稿