最期
この後、信長に臣従し、信長から細川藤孝宛ての書状で「表裏なき仁」などと書かれるなど信頼関係が築かれたようだが、後に将軍・義昭が各地の大名に指令を送り信長に敵対すると、これに反応して信長に再び対立姿勢を打ち出した。しかし、1573年、信長の命を受けた三淵藤英・細川藤孝らの軍勢に山城淀城を攻められて奮戦したものの、内通していた味方の裏切りに遭い敵中に孤立し、藤孝の家臣の下津権内と組み合いとなり堀に落下、水中で討ち取られ戦死した。享年は詳らかでないが、今谷明は43歳と推定している。また、友通と併せて、岩成方の軍勢340名が戦死した。
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