宰相として
おりしも紀元前546年には晋と楚の間で弭兵の会が持たれていた。弭兵とは戦いを止めるという意味で、平和条約のことである。この機会に子産は晋と楚の修好を取り持つ役を務め、鄭に平和をもたらした。内政面での子産は土地制度・軍制・税制の改革を推し進めた。具体的にその方策を述べると土地制度に於いては、それまで土地と土地との間で区画が無かった耕地に畦や溝を設けて、整理した。税制・兵制に於いては丘賦と言う新しい税を定めた。丘賦の具体的内容については不明。また当時は卿・大夫・士と言う枠組みが崩れつつあり、より下の階層である士が力を付けて上を犯そうとしていた。そこで子産は大夫たちの協力を得ることで士を押さえ込んだ。
おりしも紀元前546年には晋と楚の間で弭兵の会が持たれていた。弭兵とは戦いを止めるという意味で、平和条約のことである。この機会に子産は晋と楚の修好を取り持つ役を務め、鄭に平和をもたらした。内政面での子産は土地制度・軍制・税制の改革を推し進めた。具体的にその方策を述べると土地制度に於いては、それまで土地と土地との間で区画が無かった耕地に畦や溝を設けて、整理した。税制・兵制に於いては丘賦と言う新しい税を定めた。丘賦の具体的内容については不明。また当時は卿・大夫・士と言う枠組みが崩れつつあり、より下の階層である士が力を付けて上を犯そうとしていた。そこで子産は大夫たちの協力を得ることで士を押さえ込んだ。
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