ヨーロッパ外遊
1921年末に麻生の提案で棚橋の外遊資金調達のために、渡欧記念論集として『新社会的秩序へ』の出版を行った。この論集は、棚橋小虎を知っている学者や評論家、社会主義者らに寄稿してもらい、印税を棚橋の外遊資金に充てることとしていた。尚、論集には、山川均・高野岩三郎・北沢新次郎・荒畑勝二・赤松克麿・堺利彦・上田貞次郎・長谷川万次郎・米田庄太郎・大山郁夫・片上伸・安倍磯雄・佐野学・新居格・石本恵吉・末弘厳太郎に加えて麻生が寄稿している。この記念論集の印税のほか、棚橋は三高時代の先輩の中俣正男や、孝子の父である岸井品八などから支援を受けて洋行費用を工面した。こうして棚橋は渡欧の目途が立つこととなり、1922年7月13日に門司を出港して上海、8月24日にマルセイユを経て、9月10日にベルリンに到着した。
1921年末に麻生の提案で棚橋の外遊資金調達のために、渡欧記念論集として『新社会的秩序へ』の出版を行った。この論集は、棚橋小虎を知っている学者や評論家、社会主義者らに寄稿してもらい、印税を棚橋の外遊資金に充てることとしていた。尚、論集には、山川均・高野岩三郎・北沢新次郎・荒畑勝二・赤松克麿・堺利彦・上田貞次郎・長谷川万次郎・米田庄太郎・大山郁夫・片上伸・安倍磯雄・佐野学・新居格・石本恵吉・末弘厳太郎に加えて麻生が寄稿している。この記念論集の印税のほか、棚橋は三高時代の先輩の中俣正男や、孝子の父である岸井品八などから支援を受けて洋行費用を工面した。こうして棚橋は渡欧の目途が立つこととなり、1922年7月13日に門司を出港して上海、8月24日にマルセイユを経て、9月10日にベルリンに到着した。
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