スキップしてメイン コンテンツに移動

ジョゼフ=マリー・アミオ(1718~1793)

アミオ以後の北京の西洋人
アミオ以降、イエズス会が禁止される1770年代までイエズス会士は北京入りしており、画家のルイ・ド・ポワロは1813年まで生きていた。それ以降はラザリスト会は取ってかわり、欽天監で働いた畢学源は1838年に北京で没した。しかし、嘉慶・道光年間には禁教はより厳格になり、宣教は困難だった。乾隆帝の時代に残されていた北京の教会も、19世紀初頭に閉鎖された。

コメント