治世
当初は元老院の人事に極力干渉しない考えを見せていたマクリヌス帝であったが、複数の属州総督に関しては入れ替えが必要であると認識した。またバッシアヌス家を始めとする旧セウェルス朝の関係者に関しても寛大な態度で接していたが、セウェルス朝の内政を事実上取り仕切っていたユリア・ドムナが謀反を計画しているとしてアンティオキアに幽閉する決定を下した。不治の病を患っていたユリア・ドムナは自ら絶食して死を選んだとされる。このあと、マクリヌス帝は残るバッシアヌス家の一族に対しても彼らの故地であるシリアのエメサに戻るよう命じた。
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