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ウマル・イブン・ハッターブ(592~644)

イスラーム帝国の拡大
ウマルの時代はジハードが展開され、まずシリアに進出して635年にダマスクスを包囲して降伏に追い込み、次いで翌636年8月、ヤルムークの戦いで東ローマ帝国のヘラクレイオス1世の軍隊12万を、4万の軍勢で攻撃し、兵員数で劣ったものの奇襲攻撃などで東ローマ軍を壊滅させ、シリアをイスラーム帝国に併合した。さらに637年にはカーディシーヤの戦いでサーサーン朝ペルシア軍に勝利し、その都クテシフォンを攻略した。翌638年にはさらに西に転じてエルサレムを征服、その時すでにローマ時代の建物はなくなり荒廃していたが、ウマルはその遺跡の中から巨岩を見つけ、そこがムハンマドの「昇天の旅」の出発地であるとして聖域に指定し、「ウマルのモスク」とよばれるようになった。この地には後ウマイヤ朝時代のアブドゥルマリクによって岩のドームが建立されることになる。641年、ウマルはエジプトを征服、さらに再び東進して642年にニハーヴァンドの戦いでサーサーン朝ペルシアに勝利して、イラン高原に進出した。また広大な征服地を統治するため、徴税官を派遣し、アラブ戦士にはその税収入から一定の俸給を支払うこととし、またその業務のためにメディナに官庁を置いた。さらにイスラーム暦を定められたのもウマルの時である。644年、カリフ・ウマルの死により、生前の指名によってウスマーンがカリフの地位に就いた。

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ベルンハルト・リーマン(1826~1866)

リーマン面 数学、特に複素解析においてリーマン面とは、連結な複素1次元の複素多様体のことである。ベルンハルト・リーマンにちなんで名付けられた。リーマン面は、複素平面を変形したものと考えられる。各点の近くで局所的には、複素平面の部分に似ているが、大域的位相は大きく異なり得る。例えば、球面、トーラス、または互いに糊付けした二枚の面のように見え得る。

エイブラハム・ダービー1世(1678~1717)

ダービー父子~父、ダービー1世~ 父のダービーはブルストルで鋳物製造を行っていたが、砂型鋳物製造の特許を取り、事業を安定させ、1709年に石炭をコークス化して燃料として用い、鉄鉱石を熔解する高炉を成功させた。コークスは石炭を蒸し焼きにしてつくり、香炉の中で鉄鉱石と一緒に入れて燃やすと、不純物を除去することができる。また高炉はつねに高温を保たなければならないが、そのために従来は「ふいご」が使われていたがダービーは送風シリンダーを考案し、その問題も解決した。こうして本格的な製鉄業を興し、鍋などの生活用具からニューコメンの蒸気機関用の部品まで製造し、事業を成功させた。

度会家行(1256~1351)

伊勢神道 鎌倉時代末期に、それまでの両部神道や山王神道などの本地垂迹説とは逆に、反本地垂迹説が勃興するようになり、その影響で、伊勢神宮の外宮の神官である度会家行によって、伊勢神道が唱えられた。伊勢神道は、『神道五部書』を根本経典とする。また、儒教・道教思想の要素も含まれた最初の神道理論とされる。伊勢神道は、元寇により日本が神国であると再認識し、日本における唯一絶対の宗教は神道であるとする勢力から支持され発展した。日本書紀によると、倭姫命は11代垂仁天皇の皇女で、天照大神の御杖代として各地を巡行し、伊勢の地で神宮を創祀した。「神道五部書」と呼ばれる伊勢神道の根本史料の一つ『倭姫命世記』に、度会郡を中心とする倭姫命の足跡が数多く記されている。