イスラーム帝国の拡大
ウマルの時代はジハードが展開され、まずシリアに進出して635年にダマスクスを包囲して降伏に追い込み、次いで翌636年8月、ヤルムークの戦いで東ローマ帝国のヘラクレイオス1世の軍隊12万を、4万の軍勢で攻撃し、兵員数で劣ったものの奇襲攻撃などで東ローマ軍を壊滅させ、シリアをイスラーム帝国に併合した。さらに637年にはカーディシーヤの戦いでサーサーン朝ペルシア軍に勝利し、その都クテシフォンを攻略した。翌638年にはさらに西に転じてエルサレムを征服、その時すでにローマ時代の建物はなくなり荒廃していたが、ウマルはその遺跡の中から巨岩を見つけ、そこがムハンマドの「昇天の旅」の出発地であるとして聖域に指定し、「ウマルのモスク」とよばれるようになった。この地には後ウマイヤ朝時代のアブドゥルマリクによって岩のドームが建立されることになる。641年、ウマルはエジプトを征服、さらに再び東進して642年にニハーヴァンドの戦いでサーサーン朝ペルシアに勝利して、イラン高原に進出した。また広大な征服地を統治するため、徴税官を派遣し、アラブ戦士にはその税収入から一定の俸給を支払うこととし、またその業務のためにメディナに官庁を置いた。さらにイスラーム暦を定められたのもウマルの時である。644年、カリフ・ウマルの死により、生前の指名によってウスマーンがカリフの地位に就いた。
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