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ジュリウス・ニエレレ(1922~1999)

「ウジャマー社会主義」を掲げる
ニエレレは1967年、「アルーシャ宣言」と言われる独自の社会主義路線を表明、それをスワヒリ語で友愛、家族愛を意味する語を冠して「ウジャマー社会主義」と称した。それは、タンザニアが農業国であることを前提に、「伝統的なアフリカの土地所有関係と拡大家族の協同労働の上に成立する共同体成員同士の相互扶助の精神」を生かしながら、自発的な集団農場を普及させようとするもので、ソ連型とも中国型とも違う独自の社会主義を実現しようとする試みであった。具体的には第一段階では集村化をはかり、第二段階で共同畑を設置し、第三段階で集団化、平等化を実現し「ウジャマー村」を建設するという計画であった。第二段階までは自発的に進み、水の供給、教育、医療などの普及など成果が生まれたが、第三段階には富農の抵抗など階級対立が表面化して順調に進まず、強制的な措置がとられるようになり、反発も強まった。ニエレレは国際政治では非同盟主義を守る一方、アフリカ統一機構には積極的に参画した。彼のウジャマー社会主義は順調に進まったが、国民の支持は強く、21年にわたって大統領を務め、1985年に引退した。

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エイブラハム・ダービー1世(1678~1717)

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度会家行(1256~1351)

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体操~ドイツ体操~ ドイツ体操はバゼドー、フィヒテらの思想を継いだフリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーンによって1811年に創始された。バゼドーは神学教師であったが、哲学者ルソーの『エミール』に触発され、身体と精神は互いに助け合わなければならないと考え、その実現の場として1771年にデッサウに汎愛学校を設立し、平均台や徒歩競争などを含む体育法「ギリシャ体育」を生徒に施した。ヤーンは教育所を設立して高跳び用のスタンドなど体操用の器械を考案し、『ドイツ体操術』の著し、運動を愛国心に結び付け、旅先や公園で指導し、その発展と普及に努めた。今日の器械体操競技種目の大部分がヤーンの創案によるものである。その後スピースに引き継がれ、号令による運動や性別・年令に応じた段階的・組織的運動などを採り入れ、ドイツ初の器具装備の体操場を造った。1860年にはドイツ体操祭が開催され、今も4年に一度開催されている。スウェーデン体操の研究家ロートシュタインにより、青少年の体育手段として有害であるなどの批判を受け、激しい論争が行われたが、医者などの支持を得て、今日に至っている。