江華島事件
1872年9月対馬藩と交替するために朝鮮入りした花房義質が、春日丸に乗ってきたことから、日本を西欧勢同様、衛正斥邪の対象として、前述のように食糧の供給を停止した。大院君は、「日本人は何故蒸気船で来て、洋服を着ているのか。そのような行為は華夷秩序を乱す行為である」と非難し、交渉が暗礁に乗り上げると、日本では朝鮮出兵を求める征韓論争など出兵問題が政治問題化するようになる。征韓論争は明治六年政変によって「延期」と決まったが、その後の台湾出兵の発生と大院君失脚の報によって征韓論の勢いが弱まったために、明治政府は政府間交渉をして相手の状況をみることにした。
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