生涯と性格
その性格は「恬淡簡易」と評され、甥の頼山陽と歴史への関心を分け持ち、夜の更けるのも忘れ「喜んで本邦群雄の事跡を談じ」たという。三博士の中ではもっとも詩人の素質に富み、こだわりなく詩を作る。詩は「唐を以て法と為す」べきであるが、陳腐にならないように新しい感覚のある宋詩をも読むべきである、ただし「宋人は雅俗を択ば」ないので模倣しすぎると詩の形を為さなくなる、と考えていた。二洲の詩的感興は、世俗を避ける心と結びついている。冢田大峯が異学の禁に反対する声明を出したときに二洲の門人で動揺するものが少なくなかったことを考え合わせると、二洲自身に権力で学問を統一することを忌む気風があったのではないかと推測される。
その性格は「恬淡簡易」と評され、甥の頼山陽と歴史への関心を分け持ち、夜の更けるのも忘れ「喜んで本邦群雄の事跡を談じ」たという。三博士の中ではもっとも詩人の素質に富み、こだわりなく詩を作る。詩は「唐を以て法と為す」べきであるが、陳腐にならないように新しい感覚のある宋詩をも読むべきである、ただし「宋人は雅俗を択ば」ないので模倣しすぎると詩の形を為さなくなる、と考えていた。二洲の詩的感興は、世俗を避ける心と結びついている。冢田大峯が異学の禁に反対する声明を出したときに二洲の門人で動揺するものが少なくなかったことを考え合わせると、二洲自身に権力で学問を統一することを忌む気風があったのではないかと推測される。
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