近思録崩れ~島津重豪の放漫財政~
鹿児島藩8代藩主・島津重豪は他藩より遅れた自藩の状況に懸念を抱き、計画倒れになっていた藩校・造士館の建立や、天文観測所・明持館や佐多薬園をはじめとする蘭学に関する施設建設、他地域からの商人の招聘などの政策を採った。しかし、鹿児島藩は江戸時代初期から慢性的に赤字であり、更に先年宝暦治水事業を負わされ莫大な借財を抱えていた。その上での文化事業に抱え、鳥見職設置による貴重な生物がいる土地の開発を禁止したいわゆる動植物保護政策により、鹿児島藩は農民ばかりではなく、実質的に開墾で生活している郷士を初めとする武士階級にも高負担を強いる財政構造に転落していった。
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