北槎聞略
1783年、駿河沖で遭難した伊勢国の神昌丸の乗組員が、約8か月の漂流の末、船内で死亡した1名を除く16名が、当時ロシア帝国の属領となっていたアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着した。彼らは厳しい冬で仲間を次々と失いながらも、4年後に現地のロシア人と協力して船を手作りし、カムチャツカに渡る。翌年に同地を出発し、オホーツク、ヤクーツクを経由し、1789年にイルクーツクに到着した。船頭光太夫は日本帰国の許しを得るため、キリル・ラクスマンの協力を得て、モスクワ経由で帝都サンクトペテルブルクに向かう。光太夫らは女帝エカチェリーナ2世に拝謁、9か月の根室で死亡した1名を除く光太夫と磯吉の2名は江戸に渡り、翌1793年9月18日、吹上御苑にて将軍に拝謁、ロシアから持ち帰った品を献上する。
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