ローマ内戦~3人目の皇帝・ウィテッリウス
勝利を収めたアウルス・ウィテッリウスはそのままローマへと入城した。前述の第1軍団ゲルマニカ、第21軍団ラパクスに加えて第1軍団イタリカ、第5軍団アラウダエ、第15軍団プリミゲミナ、第1軍団マクリアナ・リベラトリクス、第3軍団アウグスタの強大な軍事力を背景としたウィテッリウスの前に元老院もなすすべはなく、帝位を与えることを即座に認める。しかし、ウィテッリウスはそもそも帝位を得た後の政策について明確な方針もなく、単に軍団に御輿として担がれただけの皇帝であった。ウィテッリウスが皇帝であった時代は、前の世代の人材が随所で活躍していたので行政面での問題が少なかったが、結局ウィテッリウス自身が新たに定めた法律などは一つもなく、即位後の彼の事績として残されているのは一日の食費が10万デナリウスも要したなどのみである。
勝利を収めたアウルス・ウィテッリウスはそのままローマへと入城した。前述の第1軍団ゲルマニカ、第21軍団ラパクスに加えて第1軍団イタリカ、第5軍団アラウダエ、第15軍団プリミゲミナ、第1軍団マクリアナ・リベラトリクス、第3軍団アウグスタの強大な軍事力を背景としたウィテッリウスの前に元老院もなすすべはなく、帝位を与えることを即座に認める。しかし、ウィテッリウスはそもそも帝位を得た後の政策について明確な方針もなく、単に軍団に御輿として担がれただけの皇帝であった。ウィテッリウスが皇帝であった時代は、前の世代の人材が随所で活躍していたので行政面での問題が少なかったが、結局ウィテッリウス自身が新たに定めた法律などは一つもなく、即位後の彼の事績として残されているのは一日の食費が10万デナリウスも要したなどのみである。
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