理学部教授
1926年山本等の「天文学の発展のためには、専門家でなくても天体観察ができる天文台が必要」だとする主張に啓発され、倉敷紡績専務原澄治の出資により倉敷天文台が竣工した。1929年10月には京都帝国大学における前任者新城新蔵博士から受け継いだ花山天文台が開台され、山本は初代台長に就任した。1935年、パリで開催された国際天文学連合第36回総会において黄道光委員会初代委員長に就任した。IAU委員会において日本人が専門部会の委員長となったのは山本が最初であった。1937年3月には勲三等に叙され、同年に広島県瀬戸村で黄道光観測所が開所した。
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