敬虔王
ロベール2世は自身の結婚問題で一時ローマ教皇グレゴリウス5世によって破門されたことがあるにも拘わらず、「敬虔王」の名が示すとおり極めて信心深い王だった。彼は宮殿の一角に礼拝所を作り、王服をまとって朝課と晩課を行ったほか、異教徒に対して厳しい政策をとった。当時のフランス王国は極めて狭い範囲しか統治していなかった。ロベール2世は王領を拡大すべく継承者不在となった諸侯領を併合しようとしたが、これは対立する継承権者との戦いを招いた。1003年のブルゴーニュ公領への出兵は強い抵抗を受け、教会の支援を得てこの地を手に入れたのは1016年だった。
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