ヴィッテとの関係
ヴィッテは彼の回想録の中で、ココツェフを大蔵省改革の良き片腕として紹介している。しかし、ヴィッテは日露戦争の影響による政情不安から金融政策を巡りココツェフと対立し、国家評議会で数度に渡り議論を交わしている。この対立は、首相に復帰することを目指していたヴィッテにとって、長年政治的同志として関わってきたココツェフが首相候補のライバルとなっていたためと言われている。政治的に対立することもあったが、ココツェフとヴィッテの関係は続き、ココツェフは1915年に死去する直前のヴィッテを見舞いに訪れている。
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