ウマイヤ・モスク~ウマイヤ・モスクの建設~
706年にムアーウィヤから数えて6代目のウマイヤ朝カリフ、ワリード1世は、ダマスクスにモスクを建てる計画を立てた。ここでいう「モスク」は屋根のあるイスラーム教の礼拝所のことである。簡易な礼拝所ムサッラーなら、洗礼者ヨハネ聖堂の中庭の南東部に設けられてはいた。ワリードは自ら工事を監督し、カテドラルのほとんどを一旦壊すことを指示した。新しく建設されたモスクは、カテドラルのレイアウトに連関しないもになった。キリスト教会であったときは矩形で仕切られた聖域内の中心にカテドラルが設けられていたのに対し、モスクへの改築後の主たる礼拝空間は、南壁に面する位置に設けられることになった。キリスト教会のアーケードとそれを支える柱は、一旦取り外された後に再配置された。改築後の建物は、金曜日に市民が集会を開くための公共の施設となるように設計された。キリスト教徒は移転に反対したため、ワリードが没した直後の西暦715年、次代カリフのスライマーン・ブン・アブドゥルマリクの時代に完成した。
706年にムアーウィヤから数えて6代目のウマイヤ朝カリフ、ワリード1世は、ダマスクスにモスクを建てる計画を立てた。ここでいう「モスク」は屋根のあるイスラーム教の礼拝所のことである。簡易な礼拝所ムサッラーなら、洗礼者ヨハネ聖堂の中庭の南東部に設けられてはいた。ワリードは自ら工事を監督し、カテドラルのほとんどを一旦壊すことを指示した。新しく建設されたモスクは、カテドラルのレイアウトに連関しないもになった。キリスト教会であったときは矩形で仕切られた聖域内の中心にカテドラルが設けられていたのに対し、モスクへの改築後の主たる礼拝空間は、南壁に面する位置に設けられることになった。キリスト教会のアーケードとそれを支える柱は、一旦取り外された後に再配置された。改築後の建物は、金曜日に市民が集会を開くための公共の施設となるように設計された。キリスト教徒は移転に反対したため、ワリードが没した直後の西暦715年、次代カリフのスライマーン・ブン・アブドゥルマリクの時代に完成した。
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