ニキアスの和約
開戦から数年たち、アテナイ軍がメッセニアのピュロスを占領したとき、メッセニア人の反乱を恐れたスパルタ側は紀元前425年アテナイ側に対し和議を提案したが、アテナイの好戦派クレオンの強硬論によって成立しなかった。しかし、その後トラキアに出陣したクレオンがアンフィポリスの戦いで大敗し戦死すると、アテナイにも和平の機運が高まり、和平派のニキアスとスパルタ王のプレイストアナクス紀元前421年双方の占領地を返還するなど戦前の秩序維持を目的としたニキアスの平和が結ばれた。アテーナイ市民がこの講和をいかに待ち望んでかということは、アリストパネスの喜劇『平和』が示している。
コメント
コメントを投稿