上田宗箇流
初代上田重安ははじめ丹羽長秀、のちに秀吉の配下となり、武勇で知られる武将である。茶道ははじめは千利休、ついで古田重然の門下であった。武人としてあまりに高名であるために、茶人としての逸話はあまり伝えられていないが、徳島城、名古屋城などの作庭や、茶杓、茶碗などの手作りの茶器に逸品が多く文武両芸に秀でた人であったと考えられる。大坂夏の陣で一時竹藪に隠れていた折りに、美竹を見つけて茶杓を削りはじめ、あまりに無心に削っているため敵兵がかえって怪しんで逃げたという逸話があり、「敵がくれ」はこの時の茶杓と伝えられている。1619年浅野長晟に従って広島藩に移って以来、広島の地で維新や被爆を経て現在に至る。
初代上田重安ははじめ丹羽長秀、のちに秀吉の配下となり、武勇で知られる武将である。茶道ははじめは千利休、ついで古田重然の門下であった。武人としてあまりに高名であるために、茶人としての逸話はあまり伝えられていないが、徳島城、名古屋城などの作庭や、茶杓、茶碗などの手作りの茶器に逸品が多く文武両芸に秀でた人であったと考えられる。大坂夏の陣で一時竹藪に隠れていた折りに、美竹を見つけて茶杓を削りはじめ、あまりに無心に削っているため敵兵がかえって怪しんで逃げたという逸話があり、「敵がくれ」はこの時の茶杓と伝えられている。1619年浅野長晟に従って広島藩に移って以来、広島の地で維新や被爆を経て現在に至る。
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