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オットー2世(955~983)

コロンナ岬の戦い~戦闘~
戦闘が始まると、神聖ローマ帝国の重騎兵がシチリア軍の中央を崩壊させ、敵本陣にまで至った。この時アブル=カースィムは討ち取られたが、シチリア軍は完全には崩れず、逆に山に隠れていた5000人ほどの別動隊を動かして神聖ローマ帝国軍を包囲した。勝利に酔って敵の死体から装備を掠奪していた神聖ローマ帝国軍は、奇襲を受けてパニックに陥った。歴史家のイブン・アスィールによれば、神聖ローマ帝国軍の死者は4000人に上った。その中には、ベネヴェント公ランドルフォ4世やアウクスブルク司教ハインリヒ1世、マイセン辺境伯ギュンター、フルダ修道院長、ほか19名のドイツ人の伯が含まれていた。またヴェルチェッリ司教ペトルスなどは捕虜となり、エジプトのファーティマ朝の宮廷まで連行された。オットー2世は命から脱出して海に飛び込み、泳いでギリシャ人の商船にたどりついて助けられた。この遠征中、オットー2世は東ローマ帝国とも対立していたので船では素性を隠そうとしたが、最終的に自ら正体を明かしたうえで、コンスタンティノープルの皇帝のもとに赴く前にロッサーノで皇后と合流し財貨を携えていきたいといって船員を説き伏せた。船がロッサーノにつくと、オットー2世は船上で船員とメッツ司教ディートリヒが身代金交渉している隙に海に飛び込み、泳いでロッサーノの街に生還した。その後、オットー2世は11月12日にようやくローマに帰還した。レオポルト・フォン・ランケは、この戦いを「ドイツ王国にとってのカンナエ」と評している。

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エイブラハム・ダービー1世(1678~1717)

ダービー父子~父、ダービー1世~ 父のダービーはブルストルで鋳物製造を行っていたが、砂型鋳物製造の特許を取り、事業を安定させ、1709年に石炭をコークス化して燃料として用い、鉄鉱石を熔解する高炉を成功させた。コークスは石炭を蒸し焼きにしてつくり、香炉の中で鉄鉱石と一緒に入れて燃やすと、不純物を除去することができる。また高炉はつねに高温を保たなければならないが、そのために従来は「ふいご」が使われていたがダービーは送風シリンダーを考案し、その問題も解決した。こうして本格的な製鉄業を興し、鍋などの生活用具からニューコメンの蒸気機関用の部品まで製造し、事業を成功させた。

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伊勢神道 鎌倉時代末期に、それまでの両部神道や山王神道などの本地垂迹説とは逆に、反本地垂迹説が勃興するようになり、その影響で、伊勢神宮の外宮の神官である度会家行によって、伊勢神道が唱えられた。伊勢神道は、『神道五部書』を根本経典とする。また、儒教・道教思想の要素も含まれた最初の神道理論とされる。伊勢神道は、元寇により日本が神国であると再認識し、日本における唯一絶対の宗教は神道であるとする勢力から支持され発展した。日本書紀によると、倭姫命は11代垂仁天皇の皇女で、天照大神の御杖代として各地を巡行し、伊勢の地で神宮を創祀した。「神道五部書」と呼ばれる伊勢神道の根本史料の一つ『倭姫命世記』に、度会郡を中心とする倭姫命の足跡が数多く記されている。