第17代自民党総裁
1995年9月、橋本は国民的人気を背景に自民党総裁選に出馬する。当初は現職総裁の河野洋平と橋本の一騎討ちと目され、早稲田大学出身の河野と慶大出身の橋本の「早慶戦」、共に1937年生まれで50代の「ニューリーダー対決」などと評されたが、河野は自らが所属する宮沢派の支持を得られずに「大変厳しい多数派工作で、党内に亀裂を生じるを恐れる」として出馬を辞退。河野に代わって三塚派の小泉純一郎が出馬し、論客同士の「さわやかな政策論争」、「KK決戦」と評される総裁選が展開された。橋本は304票を獲得し、87票を獲得した小泉に圧勝。第17代自由民主党総裁に就任した。幹事長に宮沢派の加藤紘一、総務会長に三塚派の塩川正十郎、政調会長に旧渡辺派の山崎拓を選任した。橋本は総裁就任に伴って、村山改造内閣で副総理を兼務し引き続き通産相を務めた。
1995年9月、橋本は国民的人気を背景に自民党総裁選に出馬する。当初は現職総裁の河野洋平と橋本の一騎討ちと目され、早稲田大学出身の河野と慶大出身の橋本の「早慶戦」、共に1937年生まれで50代の「ニューリーダー対決」などと評されたが、河野は自らが所属する宮沢派の支持を得られずに「大変厳しい多数派工作で、党内に亀裂を生じるを恐れる」として出馬を辞退。河野に代わって三塚派の小泉純一郎が出馬し、論客同士の「さわやかな政策論争」、「KK決戦」と評される総裁選が展開された。橋本は304票を獲得し、87票を獲得した小泉に圧勝。第17代自由民主党総裁に就任した。幹事長に宮沢派の加藤紘一、総務会長に三塚派の塩川正十郎、政調会長に旧渡辺派の山崎拓を選任した。橋本は総裁就任に伴って、村山改造内閣で副総理を兼務し引き続き通産相を務めた。
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