維新後の活躍
帰国後の1868年3月、目付となる。しかし、すでに幕府は大政奉還しており、鳥羽・伏見の戦いで敗れた徳川慶喜は謹慎していた。田辺は致仕した後、一時横浜で輸入商を営んでいたが、徳川家が駿府70万石へ移封となったのを受け、1869年5月、沼津兵学校に招かれ教授に就任した。1870年正月には外務省から要請され、外務少丞となり、翌年の岩倉遣欧使節に一等書記官として随行、外交経験の浅い維新政府の幹部を補佐した。1874年の台湾出兵の際にも、事件を収拾するために清へ渡って交渉した全権弁理大使大久保利通に随行し、両国間折衝を補佐するなど、明治初年の外交史の様々な局面で活躍した。
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