パルティアとの戦い
任期を終え、帰還したコルブロは52年までローマに留まり、アシア属州の総督に任命される。54年にクラウディウスが没しネロが皇帝となると彼は東方属州に派遣され、アルメニアにおけるパルティアとの紛争に対処する事となる。しかし指揮系統が二分され命令だったために、使える戦力も権限も不十分であり続けた。準備に数年間をかけた後、58年にゲルマニアから援軍を要請した上でアルメニアに侵攻、アルメニア王トリダテスとパルティア王ヴォロガセス1世と戦い、親ローマ派の王を擁立する事に成功した。しかしながら61年に今度は親ローマのアルメニア王国がパルティア内のアディアバネ王国に侵攻したため、ローマとパルティアの戦争は不可避になるかに思われた。しかしヴォロガセス1世は和議を選択、両者は和平に至った。その内容は、ローマが擁立した親ローマ派の王を廃位、アルメニア王ティリダテス1世の領地を承認するというものであった。
コメント
コメントを投稿