ピルニッツ宣言
ヴァレンヌ事件でのルイ16世の失敗を知った直後、ハプスブルク家のレオポルト2世は激しく動揺し、憤って、妹マリー・アントワネットと甥たち、すなわちフランス王室の身を案じて心を痛めた。そこで彼は1791年7月5日にパドヴァから回状を発して、ヨーロッパの君主国にブルボン家への援助を呼びかけたが、これにはイギリスはもちろん、ブルボン家の分家であったスペイン、および別の妹マリア・カロリーナの嫁ぎ先でもあったナポリ、ブルボン家の旧同盟国サルデーニャも協力を断った。ロシアのエカチェリーナ2世は反革命に協力的だったが、ちょうど卒中を起こして動けなかった。僅かに呼びかけに応じたのが、スウェーデン王グスタフ3世と、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世で、7月25日にオーストリアとプロイセンは軍事同盟を結んだ。
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