交響曲第1番
全曲を通じて、作曲者が傾倒していたショスタコーヴィチ、プロコフィエフなどのソ連音楽の影響が感じられる。それと共に、それまでの作風と違いこの曲が全体的に半音階進行の多用などにより重苦しい雰囲気になっているのには、作曲当時の世相を反映しているからであり、当初曲のタイトルも「交響的嘆歌」としたという芥川自身の発言が乗っている。なお、1954年の初演後、作曲者は東欧経由で当時まだ日本と国交のなかったソ連へ入国し、ショスタコーヴィチ、カバレフスキー、ハチャトゥリアンといった主要作曲家と交流している。
コメント
コメントを投稿