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サフィエ・スルタン(1550~1618)

息子の即位
1595年、ムラト3世の死去に伴い、サーフィエの息子のメフメト皇子が、メフメト3世として即位した。サーフィエはついに母后となった。その後、即位した皇帝の兄弟達は全て抹殺するという「帝国の掟」により、前皇帝の息子達でメフメト3世の、19人の異母兄弟達は死刑執行人により、紐で絞殺された。また、これも帝国の掟により、ムラト3世の40人の愛妾達の内、妊娠していた7人は、生きたまま袋に詰められ、真夜中のボスフォラス海峡に沈められた。

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