雪斎の活躍
雪斎は義元の政治・軍事の両面で全面的に補佐した。義元も雪斎を厚く信任して手厚い庇護を与えた。1537年、雪斎は氏親の時代から悪化していた甲斐の武田信虎との関係改善に務め、義元の正室に信虎の長女・定恵院を迎え、信虎の嫡子・信玄に三条公頼の娘・三条の方を周旋して、両家の間に甲駿同盟を成立させた。だがこのため、これまで同盟関係にあった相模の北条氏綱との関係が悪化し、氏綱は駿河東部に侵攻し、同地を占領した。雪斎はこれに対して拙速を避け、1545年に関東管領の山内上杉憲政を誘い込んで武田信玄と共同して河東に出兵し、同地を取り戻している。
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