第1次マケドニア戦争
ギリシャでの地位を確立したピリッポス5世はやがてアドリア海湾岸部でのローマの影響力を阻害しようと画策する。まず彼は海路よりイリュリアに進攻し、初回はうまくいかなったものの再度進攻して成功を収め、イリュリアを支配下にする。また第2次ポエニ戦争を利用して紀元前215年にはローマに進攻中のカルタゴの武将ハンニバルと同盟を結び、ローマと対抗していく。しかしながら紀元前211年にローマがアイトリア同盟と同盟関係となるとピリッポス5世の影響力は次第に衰えていき、さらにローマの支援を受けたペルガモンのアッタロス1世の進攻を受けるなど劣勢に立たされるようになった。
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