田中製作所の設立まで
1834年には上方へ上り、大坂船場の伏見町に居を構えた。同年に折りたたみ式の「懐中燭台」、1837年に圧縮空気により灯油を補給する灯明の「無尽灯」などを考案した。その後京都へ移り、1847年に天文学を学ぶために土御門家に入門。1849年には、優れた職人に与えられる「近江大掾」の称号を得た。翌1850年には、天動説を具現化した須弥山儀を完成させた。この頃に蘭学者の広瀬元恭が営む「時習堂」に入門し、様々な西洋の技術を学ぶ。1851年には、季節によって昼夜の時刻の長さの違う不定時法に対応して文字盤の間隔が全自動で動くなどの、様々な仕掛けを施した「万年自鳴鐘」を完成させた。
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