中国および日本滞在
エルギン伯がアロー戦争の遠征軍司令官となると、オリファントは個人的秘書として中国に同行した。途中、日本との通商条約を締結するため、一行は1858年7月30日に上海を4隻の艦隊で出発、8月3日に長崎に到着、8月12日には品川沖に停泊した。8月26日に日英修好通商条約が調印された。およそ1ヶ月前に日米修好通商条約が調印されていたこともあり、交渉は比較的スムーズに進んだが、オリファントはこの際の様子は「エルギン卿遣日使節録」としてまとめ、出版している。なお、幼少期を過ごした南アフリカにはオランダ人が多かったため、オリファントはオランダ語ができた。
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