平城天皇の来歴
上位にも反対していた仲成・薬子兄妹の強い要請を容れ、810年9月6日、平安京より遷都すべからずとの桓武天皇の勅を破って平安京にいる貴族たちに平城京への遷都の詔を出し政権の掌握を図った。しかし嵯峨天皇側に機先を制され、10日には嵯峨天皇が薬子の官位を剥奪。平城上皇側はこれに応じて翌11日に挙兵し、薬子と共に東国に入ろうとしたが、坂上田村麻呂らに遮られて断念、翌日平城京に戻った。平城上皇は直ちに剃髪して仏門に入り、薬子は服毒自殺した。高岳親王は皇太子を廃され、大伴親王が立てられた。これを薬子の変と呼ぶ。
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