キュリロス兄弟のスラブ人への布教~モラヴィア王国での布教~
モラヴィア王国では国王ラスチスラフから歓迎され、著述や翻訳を行い、弟子を養成し、教会組織の基礎固めをして867年に任務を終えてコンスタンティノープルに戻ることとなったが、二人の運命は一転する。本国で政変が起こり皇帝が暗殺されたのである。政争に巻き込まれることを避けた二人はローマに向かい、教皇ハドリアヌス2世に、スラヴ人に対し、スラヴ語で布教し、スラヴ語を典礼に用いることの許可を受けた。コンスタンティノスはローマでの修道士になり、キュリロスの名を名乗ったが、間もなくその地で病没した。
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