ザンド朝
イラン系ともクルド系とも言われるザンド部族は、元来イラン高原西部のハマダーン南に拠点を持っていた。しかし、サファヴィー朝崩壊後の混乱の中でアフシャール朝のナーディル・シャーが台頭すると、一時ホラーサーン東部の草原地帯に移された。ナーディル・シャーの死後、かれらはカリーム・ハーンを指導者として元の根拠地に戻って自立、ザンド朝を建てた。カリーム・ハーンは勢力を拡張していく過程で自身の正当性を主張するために最後のサファヴィー朝の君主の孫、イスマーイール3世を名目上のシャーとして擁立し、自らはその代理人として支配を行うようになった。
コメント
コメントを投稿