エサルハドン擁立
しかしエサルハドンは王子の中でも年齢も低く、また幼少時より病弱であり、この決定は他の王子達に強い反発を生み出した。後にエサルハドンは残した碑文によれば、彼は兄達が盛んに自分を中傷し、父王に讒言を繰り返したので身の危険を感じて首都を脱出しアナトリア半島へと身を隠した。そして紀元前681年にセンナケリブは、他の王子によって暗殺された。その後の王位継承争いでエサルハドンは勝利し、兄達を追放、或いは殺害して王位を継承した。この一連の事件、特にエサルハドンの首都脱出や、センナケリブ暗殺にはナキアも関与していたという説が有力である。
コメント
コメントを投稿