エドワード6世の摂政として
ヘンリー8世は自分の崩御後、特定の人物が幼い息子エドワード6世を傀儡にすることを恐れていた。そのため遺言状では息子の成人まで統治は枢密院が行うとし、枢密院の決定には枢密顧問官過半数の賛成が必要と定めた。しかし1547年1月にヘンリー8世が崩御し、10歳のエドワード6世が即位するやハートフォード伯は真っ先にエドワード6世の身柄を抑え、枢密顧問官たちの支持を得て、その摂政となり、護国卿と大蔵卿に就任した。さらに1547年2月16日にはサマセット公に叙せられた。こうしてイングランド統治権は彼が握るところとなった。
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