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藤原兼家(929~990)

次兄との確執
同年、重病の伊尹が辞表を提出すると、翌日には参内した兼家と兼通は後任の関白職を望むあまり円融天皇の御前で口論しだした。兼通から「関白、宜しく兄弟相及ぶべし」との円融天皇の生母安子の遺言を献じられた天皇は、孝心厚く遺言に従い、兼通の内覧を許し、次いで関白となった。

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