遣欧と棄教
1582年、巡察師として日本を訪れたイエズス会司祭のアレッサンドロ・ヴァリニャーノは、既にキリシタン大名であった有馬氏および大村氏に接近し、日本での布教活動を知らしめるためにカトリック教会の本山であるローマに使節を送りたいと提案した。ヴァリニャーノは原マルティノ、伊東マンショ、中浦ジュリアン、そして大村純忠の甥でもある千々石ミゲルをセミナリヨから選び、正使として共にヨーロッパへと渡った。東洋からの信徒として教皇グレゴリウス13世と謁見し、フェリペ2世から世俗当主からの歓迎を受けながら見聞を広めた。
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