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平徳子(1155~1214)

高倉上皇の崩御と清盛の死去
高倉上皇の病状は悪化の一途を辿り、1181年正月14日、21歳で崩御した。この前日に上皇の没後に中宮を法皇の後宮に納めるという破天荒な案が飛び出し、清盛・時子も承諾したという情報を流れたが、徳子は拒絶し、後白河法皇も辞退した。従順だった徳子が両親の意向に逆らったのは、この時だけだったと思われる。代わりに異母妹の御子姫君が後白河法皇の後宮入りする事となる。

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