人工国際語としての成功と迫害
1905年、フランスのブーローニュで第1回の万国エスペラント大会が開催され、多数のエスペラントが集まって大きな反響を呼び、エスペラントの規準を作る言語委員会も発足した。その後、エスペラント大会はヨーロッパ各地で毎年開催され、1906年には日本にもエスペラント教会が設立された。しかし、日露戦争後のロシアではユダヤ人に対する大規模な迫害が起こり、ルドヴィコ・ザメンホフにも危機が迫った。ルドヴィコ・ザメンホフは匿名で『人類人宣言』を発表し、民族対立を克服するための世界共通語の普及を強く訴えた。
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