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松平春嶽(1828~1890)

将軍継嗣問題
第13代将軍・徳川家定の継嗣問題では、橋本左内を京都に派遣して運動させ、一橋徳川家当主の徳川慶喜を後押しする。幕閣では紀州徳川家の徳川家茂を推す南紀派で彦根藩主の井伊直弼が大老となり、将軍世子は家茂に決定する。幕府が朝廷の勅許なしでアメリカとの日米修好通商条約を調印すると春嶽は徳川斉昭らとともに登城をして抗議したが、1858年7月5日、不時登城の罪を問われて強制的に隠居させられ、謹慎の処罰を受けた。

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