独立宣言の起草 当時33歳のトーマス・ジェファーソンは大陸会議で独立宣言の起草委員に選ばれ、その作成にあたった。わずか2週間で草案を仕上げ、他の起草委員のフランクリンとアダムズが目を通し、大陸会議で修正された後、成立した。その後ヴァージニアに戻ったジェファーソンは、ヴァージニア議会で活動し、信仰の自由などを実現するなどの改革を行い、1779年にはヴァージニア知事となり、この間の体験をもとに、『ヴァージニア覚え書』を1785年に発表している。1783年から再びヴァージニア州代表として中央政界で活動するようになり、共和政の確立に尽力し、また西方への植民計画を立案した。また翌年からはフランクリンに次いで駐フランス大使となってパリに滞在した。