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真田信繁(1567~1615)

大坂夏の陣~真田丸~
大坂城のような巨大な城をまともに攻めても大被害が出るだけです。それは徳川軍も解っていましたから、徳川家康は当初、包囲だけして打って出ない命令していました。しかし、真田幸村は、前面にある「篠山」という山に伏兵を潜ませておき、前田軍に何度も鉄砲を撃って挑発します。そのため前田軍は数日後、篠山に攻撃をかけますが…もぬけの殻。真田軍はすでに篠山から退いていて、しかもその様子を見てワザとバカにするように大爆笑します。

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