歌手として その後、自らの一座を率いて九州を巡業して終戦を迎えた。戦後の1948年、父親、弟の八郎と上京し、浅草の舞台に立った。翌年、菊田一夫の推薦で日劇の舞台に主役として迎えられた。1950年2月、テイチクから「なやましブギ」でデビューし、ポリドールを経て、ビクター移籍第二弾『あんたほんとに凄いわね』が初ヒットになった。そして、1953年、レコードで歌った『毒消しゃいらんかね』が流行し、一躍歌手としてその名が知れ渡った。1955年には、後のレコード大賞作詞家・宮川哲夫の手による『ガード下の靴みがき』も大ヒットした。その後も『納豆うりの唄』『てんてん娘』『夕刊小僧』などヒットを連発。弟八郎は宮城秀雄の名前で作曲家として活躍した。