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7月, 2025の投稿を表示しています

長嶋茂雄(1936~2025)

第2次巨人監督時代 一方、巨人は長嶋退任後の1981年シーズンから藤田元司監督と牧野茂ヘッドコーチ、そして現役を引退し助監督となった王貞治のトロイカ体制で8シーズンぶりに日本一となり、リーグ優勝と日本シリーズ敗退で終わった1983年のオフには規定方針どおりに王が監督に就任したが、王は5シーズンでリーグ優勝1回、日本シリーズ優勝なしに終わり、1988年限りでの監督退任となった。後任としては藤田が復帰し、1989年は自身2度目となる8年ぶりの日本一、1990年にはリーグ2連覇を飾ったが、藤田には心臓に持病があり「後任監督問題」が常に挙がっていた。

オットー・フォン・ハプスブルク(1912~2011)

冷戦期~1961年、ハプスブルク危機~ 1960年代初期のオーストリアでは、オットーの帰還が政界を支配した問題であった。当時のオーストリアにおいて国内に大きな騒ぎをもたらした論争は、オットーの帰還問題ただ一点のみだった。いわゆる「ハプスブルク危機」である。オットーの帰還の是非をめぐって、最終的には大連立政権が崩壊することとなる。